百色なひと File.08 [1/2] 2019.03.29
型にはまらず自分なりの色を出せていけたら 前編
畠山 美由紀さん │ シンガー・ソング・ライター
自分らしい人生を積み重ねてきたそれぞれの色に咲く女性たちを訪ねるシリーズ「百色なひと」。今回は編集部内でもファンの多い、シンガー・ソング・ライターの畠山美由紀さんを訪ねます。聞くたびに、耳にも心にもなんともいえない心地よさをもたらす唯一無二の歌声。人生のさまざまなシーンで、不思議とその時々の気持ちにぴったり寄り添ってくれるような言葉とメロディ。なんどもなんどもくり返し聞きたくなる魅力的な音楽を生み出し続ける畠山さんにたっぷりお話を伺いました。前後編に渡ってお届けします。
(後編はこちら)
聞き手:新原 陽子 (SANPO CREATE/百色日記編集部)
部屋の電気を消してひとり歌いつづけた
―昔から畠山さんの大ファンで。だから今日お会いできて本当に嬉しいんです。働いていたお店でよくかけていて、もちろん家でも。実は、ライブの出待ちをしたこともあって…。
うわあ、ほんとに?
―なんだか、愛が重ためですみません(苦笑)
いえいえ、嬉しいです(笑)。ありがとうございます。
―うちは娘も畠山さんの歌が大好きなんです。畠山さんは子どもの頃から歌がお好きだった?
歌は好きでした。でも褒められたことはなかったし、人前で歌うこともなかったんです。学校から帰って、夕飯をすぐ済ませて、自分の部屋にこもって、電気を消して、部屋を真っ暗にして、集中して…ひたすら歌っていました。家族にはうるさがられて、それが原因で毎日のようにケンカしてたけれど(苦笑) 溢れるものがあったんでしょうね。夢中になって歌っていました。
―そのときはどんな歌を?
洋楽の女性ボーカルのものを中心に。カーペンターズやEverything But The Girl、キャロル・キングとか。当時は今みたいに簡単に洋楽にアクセスできないから、ラジオをエアチェックしたり、あと泣けるのは(笑)、「ベストヒットUSA」とかのテレビ番組をラジカセで録音するとか。「おばあちゃん静かにしてて!」とか言いながら(笑)。そうやって、音楽を知りました。
―そのときから歌手になりたいと?
いえ、そういうわけではなくて。これ、恥ずかしいんですけれど(笑)、東京に出てきたのは日本映画学校の俳優科に入学するためで。上京することに家族は大反対だったんですが、とにかく表現する世界に憧れて。家出みたいな感じで出てきたんです。
―音楽学校ではなく、映画学校なんですね。
その時は音楽をやろうとは考えられなくて…まあ、女優も考えられないんだけど(笑)ピアノは習っていたけれど、自分には才能がないと思っていたし、専門的な教育も受けていなかったから。
「好きなら、歌ってみる?」
―その頃にDouble Famousのメンバーと出会った?
アルバイト先の近所のスパゲティ屋で会ったのが最初で。それがスゴイ偶然で(笑)、小田急多摩線の「栗平」っていう駅にある「栗島」っていう店長がやっている「kurinoki」っていうお店。そこで当時リトル“クリ”ーチャーズとして活動していたメンバーに会うという(笑)
―すごい!まさかの「クリ」しばり(笑)
ですよね(笑) 彼らは当時からDouble Famousというインストバンドもやっていて、「音楽が好きなら歌ってみれば?」みたいな感じで声をかけてもらって、それで一緒にやるようになって。彼らはカリプソやスカ、レゲエとかマニアックな音楽をやっていて、気仙沼から出てきたわたしからしたら、すっごく都会的でおしゃれだなーって。
―そんな中に入るのは緊張しませんでした?
年が近かったのもあってそういうのはあまり。それよりも、Double Famousのライブを見て、この人たちとなにかできるならぜひやってみたいなって。
―インストバンドに歌で参加というと、声そのものが楽器のひとつのような?
そうかもしれないですね。メインボーカルというよりボイスとして参加という感じだったかも。「歌モノ」っていう感じが全然しなくて。たとえばジャマイカなまりのおじさんが歌うような歌を歌ったりして、キーが違いすぎるんだけど敢えてそのままちょっと無理してでも歌ってみたりして。きれいなキーで歌うことより、もっとプリミティブなものを求めていたのかなと。
ライブに来られない人にも届くように
―Double Famousの活動と並行して参加されたPort of Notesはまた違ったアプローチですね。
Double Famousはとても特殊なバンドですごく面白いけれど、もともと好きだった「歌モノ」もやってみたいと思っていて。そんな時にリトルクリーチャーズ絡みで小島(大介)くんと出会って、一緒に歌モノをやろうってことになり、それで始めたのがPort of Notesです。
―バンド、ユニット、ソロ活動、オリジナルでもカバーでも多様な世界を表現されている畠山さんですが、歌うときに気をつけていることってありますか?
わたしは歌が下手なので…
―ええーっ!?
(笑)。だから、音程は外さないようにというのは絶対。そこは意外と冷静だったりしますね。あとはライブ会場の一番うしろにいる方やなかなかライブに来られない方にも届くといいなと思いながら歌っています。真っ暗な部屋でひとりで歌っている誰かさんにも。
―きっと、届いていると思います。うちの娘は家でよく畠山さんの「それぞれのテーブル」を歌うんです。大人っぽい歌ですよね。子どもにはわからないかもとも思うけれど、きっと彼女はわかってる。歌の情景を心に想い描いて、そこに自分の想いを重ねているんじゃないかなと思うんです。
それはすごく嬉しいです。でもたしかに、子どもの頃、わたしにも「大人の歌なのに、なんでこんなにわかるんだろう」と思うような歌がありました。つくづく、歌の力ってすごいなと思います。
Interview:Yoko Shinhara(SANPO CREATE)
Text:TEEMA, INC.(Yoko Okazaki・Yumi Iwasaki)
Photos:Satoru Nakano
Design:MATO INC.
INTERVIEWEE
畠山 美由紀さん | シンガー・ソング・ライター
宮城県気仙沼市出身。みなと気仙沼大使。みやぎ絆大使。カフェブームの先駆者・男女ユニット“Port of Notes”、ダンスホール楽団“Double Famous”のボーカリストとして活躍する中、2001年シングル「輝く月が照らす夜」でソロ・デビュー。オリジナルアルバムの他、カバーアルバム、ライブアルバム、ライブDVDなど多数作品を発表。ボーカリストとして、他アーティストの作品、トリビュートアルバム、映画音楽や、TV CMソング等への参加多数。2011年3月、東日本大震災で被害を受けた故郷・気仙沼を想い発表した詩「わが美しき故郷よ」は、被災した人たちだけでなく、故郷を持つ全国の人々の心に届き、各メディアで取り上げられ話題に。生きる歓びと悲しみ、目に見えない豊かな世界。人生をより愛おしく生きるための確かな手触りを歌に込め、聴く人の心に寄り添う歌を歌い続ける。
現在、FMヨコハマ「Travelin’ Light」(生放送/土11~13時)のDJとしても活動中。
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