百色日記 百色日記 SANPO

百色なひと File.08 [2/2] 2019.03.29

型にはまらず自分なりの色を出せていけたら 後編

畠山 美由紀さん │ シンガー・ソング・ライター

自分らしい人生を積み重ねてきたそれぞれの色に咲く女性たちを訪ねるシリーズ「百色なひと」。今回は唯一無二の表現者であるシンガー・ソング・ライターの畠山美由紀さんを訪ねます。前編では終始リラックスしたムードの中、ひとりで部屋を真っ暗にして歌っていた少女時代の話から、上京後のバンドメンバーとの運命的な出会い、「わたしは歌が下手なので」と謙虚に語る畠山さんの歌にこめた真摯な想いを伺いました。続く後編では、いっそう深く、畠山さんの表現する世界や人生観に迫っていきます。

(前編はこちら)
聞き手:新原 陽子 (SANPO CREATE/百色日記編集部)

「こんな手があったか!」と思われたい

―影響を受けた出会いはありますか?

プロデューサーのジェシー・ハリスに「空気にちょっとだけ色がつくくらいの小ささで歌ってくれ」って言われたのは印象的でした。自分でもできたらいいなと思っていたことだったんですけど、本当はやりたいのに自分で却下しちゃっていた部分もありました。

 

―なぜ却下を?

“ボーカルもの”って、きっちりした歌唱力が大切だと思っていたので、自分流にささやくような声で歌っていいものかという葛藤がありました。

 

―音楽のカテゴリー分けって、簡単にはできないですよね。

自分でもどんな感じの音楽なのかうまく説明ができなくて。それで困ることもあるけれど、でもやっぱりこれが自分の道なんだなと。いろんなジャンルのいいとこ取りかもしれないし、どれも専門じゃないともいえる。そういう後ろめたさもあります。でも、とにかく好きなその歌の魅力を届けたいから。

 

―多彩なアプローチも間違いなく畠山さんの作品の魅力です。

いろんなジャンルを超えていけたらいいなとは思っていて。音楽に限らず、「これはこれ」「あれはあれ」みたいな固定化された価値観を自分なりに超えていけたらいいなと。そんな風に、気づいたのは最近ですけどね。周りに面白いミュージシャンがたくさんいるから力を借りて。「こんな手があったか!」と思われるようなことができたら。

表現方法を変えてみてもいいかな

―予定調和じゃないものを目指す?

人と違った見せ方をするのが好きです。可能性がある限り、いろんなジャンルに挑戦したい。Double Famousって、「そのままやること」をなんとなく恥ずかしいと思う感覚があって。10代のときにそういう価値観に刺激を受けたのが影響しているのかも。思えば、昔から逆行するタイプでした(笑)

 

―「みんなと一緒じゃないと不安」にはならないタイプ?

昔からそうですね。アウトサイダーだったと思います。それに、やっぱりアウトサイダーに届くメッセージってあると思うから、それを大事にしたいなって。

 

―やりたくないことを「やったほうが売れるよ」って言われたことは?

ありがたいことに、やりたくないことをやらされたことがあんまりないんです。そういう意味では本当に人に恵まれているなって。駆け出しの頃にたとえばオーディションでプロデューサーと出会ったら、たぶんダメだったかな(笑)

 

―素敵な出会いがたくさんあったんでしょうね。

実は最近になって、ボイストレーニングを始めて。先生はわたしにとっての超スーパーアイドルのシンガーなのですが(笑) 縁あって今教えていただいていて、今までわからなかったことがわかるようになったんです。「そうか!」って。それがすごく面白くて。

 

―歌い方に変化はありますか?

最近は表現方法を変えてみてもいいかなと思っています。たとえば「繊細に歌う」ということも、今までと違う方法でできるんじゃないかって。アクセサリーにたとえるなら、線を細くするだけが繊細さを生み出す唯一の方法ではなくて、線が太くても繊細さを表現する方法があるはずなんですよね。声のニュアンスに込められた「美学」を表現できたら。

根源的な寂しさから救われるような歌を

―家出同然で上京してきた10代の自分に今、何か伝えるとしたら?

もう上京して30年近くになるんですよね。この夏に祖母が亡くなったのですが、父から祖母のお葬式で「歌って」と言われたんです。家出した頃には考えられないことですよね。歌いながら涙が溢れました。

 

―いいお話ですね…。家族との関係に変化を感じたのはいつ頃?

震災後ですね。震災後に、とくに父が曲やプロモーションの方法にも口を出してくるようになって(笑)「『花の夜舟』という曲は大切にしたほうがいいぞ」とか、「お酒の宣伝に使ってもらえないか」とか。それだけじゃなくて、父自身も人前で歌うようになって(笑)

 

―お父様すごい!!

自分でサウンドシステムを買って、自主的に慰問コンサートに回ったり(笑) 実は、父は結構歌が上手なんです。最近は「アドバイスをくれ」なんて言ってきますよ。あの厳しかった父が(笑)

 

―故郷、気仙沼への想いは?

この前も取材で気仙沼に帰ったけれど、やっぱりいつか帰りたいと思っている場所なんだなって。本当の意味で「帰る」ためには、一旦出なきゃいけなかったんだと思います。このまま旅を続けていつか本当に帰れる日がくればいいな。

【編集後記】
取材で感じた畠山さんの印象は「陽だまりのようなひと」。自身が生み出す音楽と同様、人の心を芯からゆっくりあたためる力をもつ女性。しなやかで凛とした佇まいに、いっそう強く憧れるようになりました。取材中も常に、気取らず、心地よい空気をつくっていただいたことを思い出すと、今でも心がじんわりとあたたまります。インタビュー後にふと、「要らないプライドは持たないんです。」とおっしゃっていたのも印象的。自分を不自然に大きく見せようとせず、謙虚に、ありのままでいられること。弱みさえもオープンにできるのは確かな芯があるからこそ。結局、自分らしさの芯を一番大事にできるのは自分自身。大きなことじゃなくてもいい。今できることから少しずつ、自分の思いを素直に表現できるようになったら、その一歩がきっと明日の「自分らしさ」につながる。そんな気づきと勇気を与えてくれた忘れられない取材となりました。

Interview:Yoko Shinhara(SANPO CREATE)
Text:TEEMA, INC.(Yoko Okazaki・Yumi Iwasaki)
Photos:Satoru Nakano
Design:MATO INC.

INTERVIEWEE

畠山 美由紀さん | シンガー・ソング・ライター

宮城県気仙沼市出身。みなと気仙沼大使。みやぎ絆大使。カフェブームの先駆者・男女ユニット“Port of Notes”、ダンスホール楽団“Double Famous”のボーカリストとして活躍する中、2001年シングル「輝く月が照らす夜」でソロ・デビュー。オリジナルアルバムの他、カバーアルバム、ライブアルバム、ライブDVDなど多数作品を発表。ボーカリストとして、他アーティストの作品、トリビュートアルバム、映画音楽や、TV CMソング等への参加多数。2011年3月、東日本大震災で被害を受けた故郷・気仙沼を想い発表した詩「わが美しき故郷よ」は、被災した人たちだけでなく、故郷を持つ全国の人々の心に届き、各メディアで取り上げられ話題に。生きる歓びと悲しみ、目に見えない豊かな世界。人生をより愛おしく生きるための確かな手触りを歌に込め、聴く人の心に寄り添う歌を歌い続ける。

現在、FMヨコハマ「Travelin’ Light」(生放送/土11~13時)のDJとしても活動中。
https://www.fmyokohama.co.jp/pc/program/TravelinLight
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twitter:@miyuquinha
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前編はこちら

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