百色日記 百色日記 SANPO

百色なひと File.09 [1/3] 2019.05.22

「好き」を信じて、つながる、生きる 前編

曽我部 美加さん │ eb.a.gos

あるときは帽子にそのまま持ち手をつけたバッグ。あるときは籐にレザーやファーなどの異素材を大胆に融合させたバッグ。またあるときは異国の民族衣装が活かされ豊かな年月をそのまま持ち歩くようなバッグ…。「eb.a.gos」(エバゴス)のバッグには、それぞれに「運命の出会い」だと感じさせる魅力があります。1997年にこのブランドをたったひとりでスタートさせたデザイナーの曽我部 美加さん。「SOGABE」を逆さまに読んだブランド名が示すとおり、eb.a.gosのもののすべてには、その隅から隅まで、ユニークなアイデアとユーモアに富んだ細部へのこだわりが詰め込まれています。それはそのまま曽我部さん自身を表現しているかのよう。そんなeb.a.gosと曽我部さんの魅力をたっぷりと。今回の「百色なひと」は特別に、前・中・後編の全3回でお送りします。

(中編はこちら)
(後編はこちら)
聞き手:新原 陽子 (SANPO CREATE/百色日記編集部)

好きなものだけが詰まった、世界にひとつだけのバッグ

―わたしは長年、eb.a.gosの大ファンで。着眼点がとってもユニークで、今度はどんなバッグが登場するのかなって、毎シーズン本当にワクワクしながら待っています。

ありがとうございます。eb.a.gosでわたしがつくろうとしているのは自分の好きなものが詰まった、「自分が持ちたいな」って素直に思えるもの。eb.a.gosを始めるまでは、キッチリとした真面目なハンドバッグをつくっていたんです。でも、もっと肩肘張らず、シンプルな袋みたいな感覚で持てる、気軽なものをつくりたいとおもって。それでeb.a.gosを始めたんです。

 

―素材からして、ひとつとして同じものがないんですよね。

eb.a.gosではインドネシア産の紅籐という硬い籐を使うんだけど、これが、硬くて加工するのがすごく大変で(苦笑)。普通の籐と違って、日本では手に入れにくいし、買いたいと言っても簡単に買えるものでもなくて。

 

―それでも使いたかった?

周りにも「やめとけ」って止められたんだけど(苦笑)それでも、何とか無理して手に入れて。籐に限らず、いつもそういう問題が起きがちなんだけど、でもなんとかどうにかする。だって、どうしてもその素材がいいから。そこは、譲れないの(笑)

本当にいいものを自分たちの手でつくる

―デザインだけじゃなくて、自分たちの手で実際につくってしまうスタイルが珍しいですよね。

もしも、デザイナーとつくるひとが分断されてしまったら、デザイナーはバッグの構造を本当の意味では理解できなくなっちゃうと思うんですよ。そこが分かっていないと芯やハリとか、バッグで一番大切な「基本」が揺らいじゃうでしょ。それに、「デザイン」と「つくること」が本当の意味で重なると特別なオーラを出せると思うんです。だから、eb.a.gosではデザインも縫製などの手しごとも自分たちでやります。それができると思えるメンバーと一緒に、力を合わせて。

 

―生産性ばかり重視するメーカーにはできないことかも。

自分たちで使ってみて得た気づきをまたデザインに反映させる。それを何度もくり返していくことで、納得のいくバッグが出来上がるんです。

 

チームでひと手間ごとに想いを込めて

―独立されたのはどういうきっかけで?

独立前は企画会社で働いていて、すごく忙しかったんです。子どもができたとわかったときに、自分のペースで働ける環境が欲しいなと思ったんです。だったら子どもが生まれる前に、自分で仕事を始めようと。でも、独立してから気づいたんですよね。「自分のペースで仕事ができるだなんて、アマちゃんの考えだった」って(苦笑)

 

―思い通りにはならなかった?

それまでの仕事のやりかたから抜け出せなくて、結局忙しくなっちゃって。出産のために休んだのは1ヶ月だけ(苦笑)生まれてからは、赤ちゃんを背負ってメーカーさんに行くこともありました。でも、子どもの面倒を見てくれる親切なご近所さんがいたんですよね。

 

―それは、ありがたいですね。

子どもの熱が出ると「お母さん、泊まっていきなさいよ」なんて、声をかけてくれたりして。本当のおばあちゃんみたいに。そうやって周りに助けてもらいながら、なんとなく、ごまかしごまかしやってきた感じです。

 

―ひとりで始めたeb.a.gosも今は50名もの大所帯ですね。

20年前にeb.a.gosを始めた頃は、こんなに多くの仲間が必要だとも思ってなかったし、仲間が集まってくれるとも思ってもなかった。でも実際、ひとりじゃ何も出来ないんですよね。バッグひとつをつくり上げるのに、籐や革などすべての分野を自分ひとりで本格的に修練しようとすると5、60年はかかっちゃう。そんなの、時間がかかりすぎて死んじゃうでしょ(笑)専門分野ごとのチームに分かれて、納得のいくまで試行錯誤。ひと手間ひと手間、愛情をこめてつくっています。

 

ひとはつながることで生きていける

―お話を聞いていると仲間をとても大切にされているという印象。どういうつながりを大切にされていますか?

初めてオーダーをもらったときも、「オーダーもらっちゃった…どうしよう?」という感じで母に相談したくらいで(笑)。他にも家族やたくさんの知人、専門家に相談しながら今までやってきました。やっぱり、自分ひとりじゃなくて、誰かと一緒にやることで「生きていける」んですよね。そこには、必ず愛があって。ひとって、つながることで生きていけるんだなあって。

 

―曽我部さんのご家族もeb.a.gosの一員なんですね。

母だけでなく妹もね。最初は週1回の「手伝って~!」から、どんどん巻き込んでいきました(笑)素材探しに海外に行く時もプロの通訳さんに同行してもらうんじゃなくて、ずっと長く付き合いのあるデンマーク人と行くんですよ。

 

―海外ではどんな出会いが?

さまざまなつくり手さんと出会います。言葉が通じなくても、「つくっているひと」とは瞬時に通じ合えたと実感することがよくあって。詳しく説明しなくても、わたしたちのバッグを見てもらえば、バッグが直接語り掛けてくれる。そして通じ合えたら、ありがたいことにすぐに信用してもらえて取引がはじまることもあるんです。

 

―eb.a.gosって、「つながり」でできているんですね。

eb.a.gosはそこに関わるメンバーひとりひとりの生活が重なる場所。eb.a.gosはそういう「輪」でできている。つくづく私はひとと仕事をしたかったんだなと思いますね。バッグをつくることが自分だけでなく、それに関わるひとの暮らしにつながる。そんな、ひとの関わりそのものが「仕事」なんじゃないかなと思っています。

※「コウジョウ」:eb.a.gosでは自社工場をカタカナで「コウジョウ」と表記。40年~50年ものキャリアのある職人たちが集まる「工場」に対し、そのまま「工場」と表記することをおこがましく感じた曽我部さんが「コウジョウ」としたのが始まり。

 

Interview:Yoko Shinhara(SANPO CREATE)
Text:TEEMA, INC.(Yoko Okazaki・Yumi Iwasaki)
Photos:Satoru Nakano
Design:MATO INC.

INTERVIEWEE

曽我部 美加さん | eb.a.gos

文化服装学院卒業後、アパレル会社、企画会社にてデザインを担当。1997年に独立し、ひとりで「eb.a.gos」をスタート。2017年に20 周年という節目を迎え、これまでのアーカイヴとして限定版書籍『バッグ ヲ ツクル』を刊行。帽子をバッグに仕立てた「ボウシ」シリーズ、旅先で出会った民族衣装をリメイクした「アンティーク」シリーズ、紅藤やブライドルレザーなどの厳選した素材で丁寧につくりあげたカゴバッグなど、そのユニークな発想とものづくりに対する細部へのこだわりに裏付けられたアイテムの数々は長年ファンに愛され続けている。

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