百色なひと File.03 [1/2] 2018.03.30
「嫌い」を知らないと、「好き」は見えてこない 前編
REMAHさん │ シンガー/アーティスト
神戸・元町の雑居ビル4階にあるAtelier Rojoart。そのドアをあけるとアーティスティックな隠れ家が出現する。10代から海外の著名アーティストたちと作品を制作しつづけ、近年ではショー「MAIN DISH」のトータルプロデュースもするシンガーのREMAHさんはこの店の主でもある。表現者であることを感じさせる独特のオーラと佇まいを持ちながら、オープンでフレンドリーな「関西のおねえちゃん」。そんな彼女に音楽のこと、人生のこと、大切にしている価値観について伺いました。
夢のためにもがいた10代
―歌手を目指したのはいつ?
子どもの頃から歌手になることが夢でした。音楽や演劇や芸術、体を動かす事などの表現活動に力を入れているちょっと特殊な幼稚園に入ったことがきっかけで、自分で表現すること、とくに歌うことが大好きに。でも、規律の厳しい中学校に通うようになってからは集団から浮いちゃって(笑)私にとっては自己表現をすること、自分の意思を主張することが自然なことだったから、みんなの「普通」や「横並びの価値観」に合わなくなっちゃったんです。学校の仲間は楽しかったんですけどね。だんだん外れて、はみ出して、あまり真面目に学校にも行かなくなって、大阪の繁華街に出て、その当時、いろいろな所からはみ出した子たちの象徴的な自己表現だったガングロギャルを私もやっていました(笑)
―ご両親が心配したのでは?
親が悲しんでいるのは知っていたから苦しかった。自分の意思を理解して欲しくてアピールするものの、反抗と言われるので家庭でも学校でも息苦しかったかな。その反動もあり居場所を探して街に飛び出したんだと思います。歌手になるために周りに内緒でオーディションを受けたり、年齢をごまかしてクラブで歌ったりもしていました。思い通りにはいかなかったけれど、夢を叶える為にとにかく何でもしましたよ。がむしゃらで向こう見ずだったけれど、情熱を燃やしていたから楽しかった。よく「夢を持て」って言われるけれど、実際に夢に向かって行動を起こすと、「それはやっちゃダメ」「そんな夢みたいなこと無理だよ」なんて言われました。大半の人がそこで折れてしまうんだろうなって。何かのために夢を追うのを諦めるのが普通になることを私はすごく不自然な流れとエネルギーだと思っています。「学校でそれぞれの夢をかなえるための具体的なアプローチや道筋も教えてくれたらいいのに」って。そんな想いがあったから、夢への具体的なアプローチ方法を相談しあうことも、可能性を広げることもできる場所として、ここAtelier Rojoartを作ったんです。
一歩を踏み出すための場所
―お店にはどんな方が来ますか?
本当にいろんな方がきますよ。学生の子も来るし、同じアーティストや年配の会社経営者さんも来る。年齢も立場も肩書もバラバラな者同士、同じテーブルについて、同じ目線で語り合えるサロンになっています。話す内容も多岐に渡っていて、社会や政治、もちろんアートや音楽の話も。みなさん話をしたくてここに来てくれるんですよね。かつての私のように自分を表現しようとしている人の相談に乗ることもあります。私にとってもこの場所は、私でいられる場所なんです。ダンスやショーのイベントやワークショップなど、表現者の実践の場としても活用してもらっています。この店が、ここに集う人たちにとって、本当の自分の姿をさらけ出せる解放の場となり、心の拠りどころにもなってくれたら嬉しいなと思います。
―たしかに自分だけの隠れ家みたいなお店です
見つけにくいところにあるから、わざわざ自分の時間と気持ちを使って来てくれる。「なにか変わった場所」を一緒に面白がってくれる人たちが自然と集まる場所なんです。今の社会をみていると、旧来の組織に居続けるのではなく、そこから抜けて新しい道をつくったり、自分らしい仕事やオリジナリティを見つけ出したりすることが求められる時代だと感じます。その一歩を踏み出すきっかけをこの場所で、ここでの出会いで、提供できたらと思っているんです。「これくらい自由でもいいんだ」ということを、今はそう思えない人にも、ここに来ることで少しでも感じてもらえたらと思っています。
デビューそして世界に飛び出す
―10代で歌手デビューされたんですよね
16歳の時に受けたオーディションがきっかけで高校卒業後19歳の頃にメジャーデビューをしました。オーディションに合格したときは本当にうれしかった。NY出身のプロデューサーが拾ってくれた縁で、ソウル/R&B歌手ピーボ・ブライソン氏のデュエットパートナーが最初の仕事でした。高校卒業と同時にレコーディングで海外へ渡り、活動をスタート。初めて海外生活をしたのがロンドンのBRIXTON地区。ここ、今でこそ治安がだいぶ良くなっているんですが、当時のBRIXTONはヨーロッパで一番治安が悪いくらいのところだったんです。
―わざわざ治安の悪いところに?
そうなんです。でもそこにはプロデューサーなりの考えがあって。本物の歌手になるためには、広い世界を知るべきだっていう。それまで規律の厳しい私立の女子校の高校生だった私は、狭い世界しか知らない、要するに「ハコ入り」。だから、BRIXTONの生活は衝撃的でした。治安は本当に悪くて、住んでいたマンションの前で人が亡くなっていたことがあったほど。でも暮らしてみると昔気質のあったかい街だとわかって。そのあとも、LAやNYを中心に海外を転々と旅しましたが、全てがはじめてで、全てが大変で、全てが楽しかった。
INTERVIEWEE
REMAH(レマ) | シンガー/アーティスト
10代より、ピーボ・ブライソンのデュエットパートナーとして共演をはじめ、ビョーク本人の承諾を得て、日本国内で再度ラッセル・マクナマラとの共作楽曲をリリースするなど、様々な海外クリエイターとの楽曲制作やライブ活動を経験。2013年より自身がプロデュースするエンターテインメントショーをスタート。2016年より地元神戸に拠点を移し、元町にセレクトアトリエSHOP「Atelier Rojoart」をオープン。2017年に1stアルバム『MAIN DISH』リリース、2018年もショーを東京・神戸等で公演。
Official site:http://remah.jp
Instagram:@remahntica
[Atelier Rojoart] Instagram:@maindish.official